大正時代の手宮高架桟橋の写真

手宮高架桟橋と今も残る擁壁

手宮〜幌内間の鉄道は明治15年(1882)に全線開通し、手宮港からの石炭の積み出しも年々増えていたが、明治後半になると道央地区での石炭産出量も急増していった。

手宮駅から祝津方面の海上に長さ289メートル、高さ19mメートルという巨大な桟橋が丸太を組み上げた木造で造られた。桟橋上まで運ばれた貨車より、横づけされた貨物船に効率よく石炭を積み込むことができたそうだ。そして積み出しを終えた貨車は、桟橋の内部をくぐって降りてくる構造になっていた。直接貨車から船に積み込みができる桟橋として、当時ではかなり画期的な構造だったらしい。

そのため石炭積み出し港の手宮駅・手宮港での輸送量の増強が必要となり、明治44年(1911)に完成したのが、手宮高架桟橋と呼ばれるこの木造巨大桟橋だ。

最盛期の手宮港・手宮駅のジオラマ 桟橋の他、鉄道工場もあった

積み出しを終えた貨車は桟橋内部をくぐって戻っていく

当時の桟橋の面影を残すものはほとんど残っていないが、高架桟橋に至るまでの線路を支えたレンガ積み(イギリス積み)の壁だけは今も見ることができる。擁壁(ようへき)と呼ばれるそうだが、約85m程まだ残されている。残念ながら周囲は雑草が生い茂っており間近でみることはできない。

小学校ではそれなりに郷土の歴史を学ぶが、総合博物館を訪れるまでこの巨大桟橋の存在について知らなかった。木造のため老朽化も早く、昭和12年に築港地区に主役の座を受け渡すのと、戦争の標的を避けるためもあってか昭和19年(1944)には廃止されたそうだ。それでも約40年は活躍したことになる。「もし」の話をしてもしょうがないが、まだ一部でも桟橋が残されていれば大変重要な歴史遺産になっていただろう。

博物館にある桟橋のジオラマ

確かによく見るとレンガだ。一段に長手と小口を交互に積むイギリス式らしい

大正末期〜昭和初期の手宮高架桟橋 木造で造られた。

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なお、擁壁の並びには古代文字の書かれた洞窟があり、昭和の頃はガラス張りになっているだけでタダで見れたのような記憶もあるが、現在は屋内施設として保存館になっている。

以前高架桟橋があった辺り。桟橋はなくても、昭和の時代まだ石炭の積み出しは行われていた。自分も黒い石が山になっていたのを見た記憶がある。

水族館に続く道路の断崖にあり、十代の頃よく自転車で通っていた道路だが、当時はまったくそのような歴史的なものがあるとは知らなかった。

知らなければまったく気付ずに通り過ぎるだろう